“場面で態度が変わる子”——安心と防衛のバランス
◆ 家では暴れるのに、外ではおとなしい
あるいは——
外では元気にふるまうのに、家では急に沈む子。
・学校では「手がかからない良い子」なのに、家では感情が爆発する
・友だちの前では社交的なのに、親の前では不機嫌
・家では穏やかだが、学校で突然パニックを起こす
吹田市・北摂地域の保護者からも、「うちの子、場面で全然違うんです」という相談をしばしば受けます。
こうした子どもの“二面性”のような態度に、戸惑いや心配を感じる方も少なくありません。
しかしその“変化”は、決して「嘘」や「わざと」ではなく、
子どもが「安心」と「防衛」をバランスさせながら適応している証でもあるのです。
◆ 「場面で違う」は“柔軟さ”と“繊細さ”の両面
まず理解したいのは、
子どもは“安全な場所”でこそ、本音や本能が表れるということです。
・家で荒れるのは、そこが安心できる場所だから
・学校で緊張するのは、そこが試される場所だから
・友だちの前で明るくふるまうのは、拒絶されたくない不安の裏返しだから
つまり、“場面で変わる”こと自体が、
その子が周囲を感じ、調整している高度な適応のサインでもあるのです。
◆ 北摂のケース:中2女子の“演じる学校・ほどける家庭”
北摂地域の中学2年生の女の子は、
学校では活発で友だちも多く、成績も良好。
担任からは「心配のない子」と言われていました。
ところが、帰宅後は無言になり、
ときに泣き出したり、ドアを強く閉めたりすることも。
ある日の面談で、彼女はこう語りました。
「学校では笑ってる。笑わないと空気が悪くなるから」
「家でイライラしてる自分が嫌だけど、外で我慢してる分、どうしても出ちゃう」
この言葉が示すように、
“態度の違い”は、外での努力の裏返しでもあるのです。
◆ 変化の背景にある3つの心理的な要因
① 安心が“解放”を生む
→ 家や特定の大人の前で感情が噴き出すのは、
**「ここでは感情を出しても壊れない」**という無意識の信頼の証。
② 過剰な“緊張と演技”の反動
→ 社会的場面で良い子を演じていると、
心身のバッテリーが切れて、反動的に荒れることがあります。
③ 場の“期待”に自動的に合わせてしまう
→ 「学校ではこうあるべき」「親の前ではこうしないと」
といった無意識の“役割”が子どもを縛っていることも少なくありません。
◆ 吹田市の心療内科での支援:その“ズレ”を大人が引き受ける
「ゆうゆうからだとこころのクリニック」では、
こうした“場面による態度の違い”を「矛盾」としてではなく、
子どもの内的なバランス調整として理解し、支援します。
🔹① 「どちらも本当の姿」と伝える
→ 外で頑張る姿も、家で崩れる姿も、どちらも“本物の自分”であることを肯定します。
🔹② 家庭の“回復の場”としての意味づけ
→ 家で感情を出せることを**“悪いこと”ではなく、“疲れた心の回復行動”**として再定義します。
🔹③ 学校や社会での“無理”を見える化
→ 「がんばりすぎていないか」「役割を演じすぎていないか」などを本人と一緒に整理していきます。
🔹④ 場の“温度差”による心身のギャップを埋める工夫
→ 学校から帰ったら「15分だけ一人になれる時間を確保する」など、
切り替えの儀式的習慣をつくることが有効です。
◆ ご家庭でできる3つのまなざし
🔷 ①「外では大丈夫なのに…」を禁句にする
→ 外でがんばる子ほど、**“家でまで期待されると潰れてしまう”**ことがあります。
🔷 ② 家庭では「役割」より「存在そのもの」を肯定する
→ 成績やふるまいで評価するのではなく、
**「あなたがここにいてくれるだけで嬉しい」**というメッセージを繰り返し届ける。
🔷 ③ 家での荒れや沈黙を「本当の声」だと思って聴く
→ 荒れる=問題、ではなく、沈黙や不機嫌=“安全だから出せた”気持ちの表出かもしれません。
◆ 場面による違いは、“信頼の揺らぎ”ではなく“信頼の証”
子どもが場面によって態度を変えると、
「何が本当なの?」と大人は不安になります。
でもそれは、“場所ごとの自分”を必死に守ろうとしているからこそ起きること。
その揺らぎを受け止め、「どの姿も大丈夫」と伝えていける関係性が、
子どもの内側を少しずつ統合していく力になります。
吹田市・北摂地域で、私たちは
子どもたちが“どの場面でも自分らしくいられる”ために、
安心と理解の土壌を大人たちとともに耕していく支援を続けています